私の日常。感じたまま、ありのままに
毎日の生活にスパイスを加えます。
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人からは恐れられ、憎まれることはあっても、愛されるという観点からは遠かった。
だが、MICHELANGELO自身はいつも誰かを愛せずにはいられなかったよう。なぜなら、美しい男たちに対する愛情は周りからすれば異常なまでの執着だったからだ。彼の作品を見れば誰もが納得するだろう。
作品は、作者の分身みたいなものでその日その時の精神状態まであらわされ、なおかつ時代背景まで感じとることができる。僕は芸術にふれるときは事前に時代背景を調べて行く事にしている。すると、面白い発見が現地でできるし深く鑑賞できる。作者が自分の中で偉大ならなおさら熟考したくてたまらないだろう。(独りよがりも)
彼は生涯独身89歳で幕を閉じたが、61歳の時に
愛した女性
がいる。その時、彼女の年齢は45歳ヴィットリア・コロンナ。文学的才能をもち、詩作に力をそそいでいた。詩ができるたびにMICHELANGELOに送って彼の心をやわらげ、平静にすることに力を注いだようである。どうやら二人は性格も、生き方も似ている。繋がるところがあるのだろう。 MICHELANGELOも答えるかのように彼女に招かれれば飛んでいき、
”奇跡”
のように人柄が変わるのであった。恋をするのは多くても、彼女に触れたのは亡骸に、そっと手にkissをした時だけであった。MICHELANGELOは後に語る。
『私が、彼女の死を見たことと、また彼女の手にはkissをしても、額と顔とにはしたことがないのを思うほど私を苦しめるものは何一つとしてない』と。
出来るなら苦しい恋愛は避けたいな...あと切ない恋も。って言ってたら出来ないじゃん。。。PR
彼の性格は自信家で、臆病なくせに怒りっぽく強情で、涙もろく言い出したら聞かなかった。
14歳の頃、先輩の下手さに痛罵し兄弟子のトリジャーノから鼻に痛烈な一打をくらいゆがんだらしい。また、街頭であった50歳を越えるレオナルド・ダヴィンチにこうののしった。
『青銅の馬の原型をつくっておきながら、それを鋳造さえできず、工合悪くなってほうりなげだしたんだ、あんたに仕事が出来ると思ってるミラノの奴も奴だ。馬鹿めが!』と言い放ったとか。
14歳の頃、先輩の下手さに痛罵し兄弟子のトリジャーノから鼻に痛烈な一打をくらいゆがんだらしい。また、街頭であった50歳を越えるレオナルド・ダヴィンチにこうののしった。
『青銅の馬の原型をつくっておきながら、それを鋳造さえできず、工合悪くなってほうりなげだしたんだ、あんたに仕事が出来ると思ってるミラノの奴も奴だ。馬鹿めが!』と言い放ったとか。
内外からも、MICHELANGELOを狙う人が多くいたらしく異常な防衛手段として命の恩人にさえ、病気になり運び込まれたストロッツィ家に手厚い看病を受けたにもかかわらず、その家の人たちが罪に問われた時、
『私はそこの家で看病は受けた覚えがない』といいはなった。
父、兄弟からはお金をたかられていたようだ。そのだびに、説教をしていたらしい。
僕は人間臭いMICHELANGELOをかいま見た気がして安心した。
しかし、危機が去るとMICHELANGELOは自分を心から情けないと思うらしい。でも、似たような言い逃れを何度もしている。弁解の余地なしである。
MICHELANGELOは彫刻家。
彼の作品は見る者を圧倒し、創り上げられた彫刻の美しさに恋をしてしまう。触れたくなり、生きてるのではという感覚にさえ陥る。
MICHELANGELOの故郷であり、彼が愛したフィレンツェ、(イタリア)ルネサンスの代名詞のような美しい町。
多くの芸術家たちが生まれた時期でもある。
例えば、
レオナルド・ダヴィンチ
ラファエロ
シェークスピアなど
1475年、MICHELANGELOはフィレンツェで生誕。
彫刻家だけでなく、画家であり、古典的教養をつんだ詩人であり思索の人でもあった。老後は無名の貧しい乙女に婚資を贈る優しいお人好しだ。逆に、社会の不正に対する鋭い批判と激しい反発をもつ行動人でもあった。
MICHELANGELOの生涯は、真の自我を確立させるため、精神的な恐怖の発作や世界観的な問題、はては身近な問題と病的に感覚が鋭い人間の心の闘争と、克服に費やされていった。
彼の作品は見る者を圧倒し、創り上げられた彫刻の美しさに恋をしてしまう。触れたくなり、生きてるのではという感覚にさえ陥る。
MICHELANGELOの故郷であり、彼が愛したフィレンツェ、(イタリア)ルネサンスの代名詞のような美しい町。
多くの芸術家たちが生まれた時期でもある。
例えば、
レオナルド・ダヴィンチ
ラファエロ
シェークスピアなど
1475年、MICHELANGELOはフィレンツェで生誕。
彫刻家だけでなく、画家であり、古典的教養をつんだ詩人であり思索の人でもあった。老後は無名の貧しい乙女に婚資を贈る優しいお人好しだ。逆に、社会の不正に対する鋭い批判と激しい反発をもつ行動人でもあった。
MICHELANGELOの生涯は、真の自我を確立させるため、精神的な恐怖の発作や世界観的な問題、はては身近な問題と病的に感覚が鋭い人間の心の闘争と、克服に費やされていった。
僕の愛してやまない?!MICHELANGELO
次回は彼の性格について
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